こんにちは。
修理事業部 永田です。
久しぶりの投稿になりました。
最近面白い本を読みました。ここ数年で感じたことについて現状の思いを書きとめたいと思います。
今回は通常の修理コラムとは別の角度で記しますが、ご興味がある方は一読ください。
【時間は存在しないっ......!!なにを言ってるの???】
イタリアの物理学者カルロ・ロヴェッリ(以下ロヴェッリ教授)は、その著書『時間は存在しない』の中で、世界は『物』ではなく『出来事』の連なりであると説いています。
冒頭で説明した面白いと思った本です。最初にこの本を題名を見て数ページ読み進めましたが「ちょっと何言ってるかわからない、、、、」が最初に思った感想でした。
まずロヴェッリ教授が説くのは、そもそも『絶対的な時間』など存在しないという事です。
例えば、遠く離れた星から届く光が数年前のものであるように、宇宙には一律に流れる『今』という瞬間はどこにもない。厳密に言えば、隣り合う私たちの間ですら、厳密に同じ時間を共有しているとは言えないのだそうです。
ここまでは何となく理解できます。たぶん、、、、
しかし『絶対的な時間』が存在しないと言われても、「過去を認識でき今があるから時間の流れを感じられるし経験に基づき未来も予測しようとするしな、、、、、、」とシンプルに思いますし現にそうやって行動しています。
なぜ私たちはこれほどまでに『時間の流れ』をリアルに感じるのか?
ロヴェッリ教授によれば、その正体は世界の基本法則ではなく、『エントロピーが増大していくプロセス』にすぎないといいます。
熱が高い方から低い方へと流れ、、、、
形あるものが無秩序へと崩れ、、、、
誕生から死へ、、、、
その変化が世界に『痕跡』を残し、私たちの脳がその痕跡を記憶として繋ぎ合わせることで、ようやく『時間が流れた』という実感が立ち上がってくる。つまり時間は、世界の仕組みというより、『私たちの脳が描き出した物語のようなもの』というのです。
そして世界の真の姿を理解する鍵は、量子力学がもたらした『粒状性』『不確定性』『関係性』という三つの発見にあるといいます。
まず、この世界は滑らかな連続体ではなく、ごく微細な『粒』で構成されているそうです。時間も例外ではなく、『プランク時間』と呼ばれる最小単位を持つ『粒状』のものだそうです。この世界を連続的な線ではなく、点描画のように描いたのかもしれません。
さらにその『粒』たちは、私たちが観測するまで、どこにどんな状態で現れるかが決まっていないという『不確定性』を持っているようで、次にどこへ現れるかは確率でしか分からず、世界は常に予測不可能な揺らぎに満ちているというのです。
そして、あらゆる存在はそれ単体で『在る』のではなく、他との『相互作用(関係性)』の中でのみ、ようやくその姿を現すのだといいます。世界を『物の集まり』ではなく、互いに影響し合う『出来事の連なり』として捉えています。
ロヴェッリ教授はこれを『音』に例えています。
単発で鳴る『ド』という音は、鳴った瞬間に消えてしまう『出来事』にすぎません。しかし、次に『レ』が鳴り、さらに『ミ』が鳴るとき、私たちの脳は消えゆく音の残響を繋ぎ合わせ、それを一つの『音楽』として認識します。つまり、音楽という現象は、どこかに置いてある『物』ではなく、過去の音の痕跡と、それを記憶として留める私たちの意識との『関係性』から生まれるのだというのです。
一連の説いを石で例えると、『道端の石は雨や風と摩擦し、熱を交わし続ける『関係性』の中にのみ存在しており、長い時間をかけて砂へと朽ちていく『出来事』の真っ最中にあります。
私たちが『時が経った』と感じるのは、形あるものが崩れていく『エントロピーの増大』という変化のプロセスを、脳が時間の流れとして捉えているからにすぎないそうです。宇宙のどこにも、全方位に等しく流れる『絶対的な時間』など存在せず、ただ相互作用という『出来事のネットワーク』が広がっているだけなのだといいます。
あらゆる存在は、この抗えない崩壊の流れの中で、互いに触れ合い、反応し合いながら、一つの壮大な出来事のネットワークを形成している……。この『世界は物ではなく、出来事である』という考え方。
体感することが難しい故に普段からその意識はないまま私は生活している訳で、ここまで読んでも「なるほど理解しました(`_´)ゞ」とはなかなか言えないです。
しかし、この難解なはずの視座が少しだけ納得できる解釈に思える出来事がありました。
【価値を形づくる3つの側面】
昨年、父が他界しました。
現代の平均寿命で考えると、あまりにも早い享年60歳でした。
私の人生に大きく響く出来事でした。
その父から一本の時計を譲り受け、私にもいわゆる『形見』ができました。
1993年製のロレックス・サブマリーナ。私とほぼ同い年のこの時計は、30年前の箱や保証書と共に、私の手元にやってきました。
刻まれる8振動の刻音、光や情景を映し込みながら刻々と趣を変える文字盤の表情、カチカチと小気味良い音を出しながら回る回転ベゼル、手にした時のスチールの冷ややかな感触、そして腕に巻いた時に感じる確かな重み。それらを五感で感じるとき、私は「なんで良いなと感じたり・悲しくも熱い感情になったり・大事に使いたい気持ちが湧きあがったり・愛おしい存在に感じるのかな?」言い換えると、この時計になぜ道具としての価値のみではなく『なにか別の価値』を強く感じているか?それを問い直さずにはいられませんでした。
時計には、3つの価値があると思っています。
①使用価値:正確な時刻を表す・距離を測る等の「道具」として。
②資産価値:市場で取引される「価格」として。
③情緒価値:個人の感情や想いや記憶が宿る、精神的な重み。
私たちの仕事は、これらの価値を守ることです。今回、父の時計が教えてくれたのは『情緒価値』でした。
【時計も"出来事"】
話を戻します。
ロヴェッリ教授が説くように、世界は『物』の集まりではなく、複雑に絡み合う『出来事の連なり』であれば=時計という物もそれに当てはまると思いました。
時計もまた、単なる金属の塊という『物』ではありません。
先ほどの『ドレミ』の例えのように、歯車ひとつを単体で見てもそこに『時間』はありません。様々なパーツが組み合わさり、互いに影響を及ぼし合って初めて、私たちはそれを『時計』と認識します。
それは個人の情緒面でも一緒だと思います。父がこの時計を手に取り、日々の生活を共にし、私へと手渡した。その一瞬一瞬の『出来事』が層(レイヤー)のように重なり、私から見てこの時計の今の姿を作っています。
もちろん、その物自体の『純粋なデザインやプロポーションが良いと感じる』という事もあります。しかしこの時計に刻まれたすり傷や打痕。それは単なる劣化(エントロピーの増大)ではなく、父の30年という時間が確かにそこにあったという『痕跡』 だとすれば、この時計は単なる『物』ではなく、「父から私へと続く出来事の連なりそのものではないか?」私がこの時計を手にした時に感じた『悲しくも熱い感情』や『大事に使いたい気持ち』つまりその感情が『情緒価値』であると理解しました。
【不完全さが生み出す、愛おしい時間】
死とは『エントロピーの増大』――すなわち、特定の複雑な秩序がバラバラになり、周囲の環境に溶け込んでいくプロセスであれば、この冷徹なルールはすべての形あるものを無秩序へと押し流そうとします。生命が食事によって自らの秩序を守るように、時計もまた、メンテナンスというエネルギーを注がなければ、いずれは摩耗し、止まり、朽ちていきます。
そう考えると、私たちが時計を修理するという行為は、この『バラバラになろうとする摂理』に対する、人間らしいささやかな抵抗とも言えるのかもしれません。
過去も未来も区別がないこの宇宙で、なぜ私たちはこれほどまでに『時間の流れ』を愛おしく、あるいは切なく感じるのでしょうか。
ロヴェッリ教授は、それは私たちが『不完全な存在』だからと言います。
宇宙のすべてを見通せない私たちが、世界をあえて『ぼかして』見ているからこそ、そこに『父と過ごした30年』という物語が立ち上がると思います。
時計が摩耗したり傷つくこと。それはエントロピーが増大した『痕跡』であり、同時にその人生が実在した証でもあります。この『不完全さへの肯定』こそが、私たちが感じる情緒価値の正体なのではないでしょうか。
とはいえ、『死』による喪失感は、論理だけで拭い去れるほど軽いものではありません。
だからこそ、人は時計(物)という『物理的な形』に想いを託す事もあるのだと思います。
自分がこの世界から消えた後も、生きた証や愛した記憶といった『出来事の余韻』が、誰かの腕の中で刻み続けられるように。
【出来事を守る】
ありがたいことに、当店に来店され修理を依頼されるお客様に『形見』として時計をお持ちいただくお客様が多いと感じております。それほど大事にされた時計を修理をさせて頂く事は、時計修理冥利に尽きると思います。
形見の時計をお預かりする際、お客様がどれほどの想いでその時計を託してくださったか。かつての私は、それを今以上に想像しきれていなかったのかもしれません。父を亡くし、その時計と向き合う中で、私は以前より『形見の大切さ』を心から体感できるようなったと感じています。
私たちの存在意義は、単なる修理のみではないと考えています。
Preserving the value of watches & passing them on to the future
(時計の価値を守り、未来へと受け継いでいく)
このサブマリーナのように父から私へ。そして私から、その先へ。
時計という物理的な形に、目に見えない『出来事の余韻』を封じ込め、未来へと繋いでいく。
それが私たちのミッションです。

【喜びや楽しいという"出来事"を共有できる場所へ】
私たちが当店を通じてお届けしたいのは、単なる『販売』『修理』『売買』という事ではありません。
時計という存在を介して、お客様の人生の節目や、大切な人との感情を分かち合えること。その『出来事』の一部になれることが、何よりも嬉しいと感じます。
今後は、単に時計・アパレル・ジュエリーを買う場所・直す場所・売る場所としてだけでなく、そうした物にまつわる喜びや楽しみや感動を共有し合えるような場(出来事・Event)を設けていきたいと考えています。
宇宙が無限の出来事で編み上げられているように、当店が誰かの大切な価値や物語が交差する、温かな結節点になれる様により一層努めて参ります。



【後記】
※本稿で触れた時間の概念や「出来事」という視座は、カルロ・ロヴェッリ著『時間は存在しない』(NHK出版)から着想を得て、筆者個人の経験に基づき解釈・引用したものであり著者の理論を厳密に解説したものではありません。
また私自身、学が無い身ゆえ理論の理解度において至らぬ点や、多分に私見の混じった解釈があるかと思いますが、一介の時計師の読み物としてご容赦いただけますと幸いです。
最先端の物理学には多種多様な理論や解釈が存在しており、本稿は特定の学説を支持したり、世界の仕組みを定義したりするものではありません。この世界の真理に挑み続ける科学者の方々に、深甚なる敬意を表します。
時計にどのような価値を見出すかは人それぞれです。想いを宿す「情緒価値」、実用的な「使用価値」、市場が認める「資産価値」。どれか一つが正解なのではなく、それらが重なり合うことで、その人にとって唯一無二の時計が形作られます。形見だから尊い、価格が高いから凄い、精度が狂わないから優秀といった優劣はなく、人がどこに価値を感じるかは多様であり、すべてが等しく素晴らしいものです。私たちは、お客様が大切にされている時計がどのような価値を持つものであれ、それが一日でも長く時を刻み続けられるよう、今後も技術の向上に精進し、その価値の保存に努めてまいります。
修理事業部 部長 永田崚将
【参考文献】
出典: カルロ・ロヴェッリ 著、訳:冨永 星、解説:吉田 伸夫『時間は存在しない』(NHK出版、2019年)
